昼寝団地引きこもり忘れ物クロ
企業のブランディング(CI/VI制作・Webサイト制作)やミュージシャンのアートディレクションを担当。
昼寝団地引きこもり忘れ物クロ
株式会社ニアノアの代表であり、アートディレクターやデザイナーとして活躍する西田幸司(にしだ・こうじ)さん。Webサイト制作、CDジャケット、ポスター、パンフレット、ライブグッズなどのグラフィックデザイン、ミュージックビデオなど幅広い仕事を手がけています。ジャンルレスに活動する西田さんのバックグラウンドや興味のあることについて伺いました。
幼少期から大学までを岡山で過ごし、大学ではガラス工芸を専攻。しかし在学中不慮の交通事故に遭い、腕に後遺症が残ってしまったため別の道を進むことに。そこで目をつけたのが当時普及しはじめたWebでした。
「手を使える範囲が限られたぶんパソコンで食っていかなきゃと思って、Webで海外のデザインをよく見ていました。だから僕にとってWebはデザインの窓口だったんです。人の書いたソースコードを見ることができたので、こう書けばこう動くのかと実際に体験しながら学んでいきましたね」
大学在学中からWebのデザインや制作をスタート。卒業後もしばらくは岡山の仕事を引き受けていましたが、クライアントの数にも限りがあり1年も経たずに仕事が尽きてしまいます。そこで腰を据えて自分のサイトを作ってみたところ注目を浴び、東京からの仕事が来るようになりました。
東京や大阪の仕事が多くなったため、27歳のときに上京。Flashサイトと呼ばれるWebサイトが全盛期の頃、広告関連のWebデザインを一手に引き受ける日々でしたが、30歳前後になり、西田さん曰く「ずっとこじらせていた厨二病が原因」で、音楽業界に足を踏み入れます。
当時の個人サイトや広告関連の実績はこちらのサイトにまとまっているのでご覧ください。
「広告関連の仕事ではクリーンな印象を求められるのですが、厨二病のダークな部分とだんだん折り合いがつかなくなって、クリーンなものをつくっていると、自分に嘘をついているような気持ちになっていってしまったんです。そこで、音楽業界の仕事ならダークなアートワークも需要があるかもと思い、音楽業界のデザインをやっていくことになりました。」
具体的なお仕事はニアノアのコーポレートサイトをご覧いただくとして。
音楽業界の仕事で、アートワークをつくっていく中で、クリーンなものとダークなものの両立も出来るようになりました。これは自分ではないという気持ちであったものが、どれも自分だなと思うようになり、厨二病は無事消化できたそうです。
2013年にニアノアを設立。ずっとフリーランスで仕事をしてきて、会社にしようと思ったのはなぜなのでしょう。
「フリーを続けるのは年齢的にもしんどくなるだろうと感じたことと、ある程度の規模になると個人では受けられないだろうと思って。Flashが一番盛り上がっていた頃、Webは表現ができる場で、実力があれば個人でもクライアントから直接大きな仕事を受けられました。でもWebが道具に変わっていって、分業化も進んだことで一人で作れるものではなくなった。それで会社にして、自分の専門分野、僕だったらアートディレクションやデザイン、エンジニアはエンジニアリングを極めて、密に連携した方がいいなと思ったんです。
単純に、若い子を育てたいという気持ちもあります。自分が20代であれだけ仕事をしていたから、僕はもう古くなっているはずだと35歳の時点で感じていました。10代・20代を見ていると本当にすごいものを作るし、僕が仕事をしている音楽業界は10代・20代の感性で回っていると思う。だから渡せるものはどんどん渡して、次の世代に仕事を任せていくのがこれからの僕の課題です」
電車のラッピング、CDのジャケット、ムービーと仕事はメディアもジャンルもばらばら。しかし西田さんの感覚としては「全部パソコンを使えればやれることだから、あまり境目を感じていない」といいます。一貫して大切にしていることなどはあるのでしょうか。
「あんまりこだわらないようにしていることですかね。単純にできないことや、忙しすぎるとき以外は基本的に何でも受けます。僕の見る目がなければとんでもない仕事に巻き込まれることもありますが(笑)。小さい仕事には小さい仕事の、大きい仕事には大きい仕事のこだわり方があって、その中でいかにやり甲斐を見つけていくか、自分を成長させれる部分を見い出せるかが大切だと思っていて、ジャンルや仕事の大きさにはこだわりはありません。むしろ、何でもやっていく中で、思いもよらなかった成長をすることも多く、ひとつひとつの仕事にちゃんと向き合えるかどうかが大切だと思っています。」
現在ニアノアは三茶WORKを拠点とし、西田さんも社員のみなさんも作業は自宅、打ち合わせなど必要なときだけ対面するようなスタイルをとっています。
「法人登記しているのでフルタイムの契約ですが、あんまり仕事はしてなくて、ここに週1とかで郵便の受け取りと、ご飯を食べに来ています。茶やで色んな人と話ができたり、広々と打ち合わせできるのは楽しいですね。来てよかったと思います」
三茶の好きなスポットを聞いてみると、三茶WORKの「茶や」だそう。
「食というよりはお店が好きなんです。円山町に住んでいたとき行きつけのお店があったのですが、常連同士で仲良くなるという飲み屋の楽しみ方を知りました。同じお店を気に入る人って、業種は違っても人種は似ていると思うんですよ。三茶WORKでもそれを感じていて、なんか野良っぽい人が多いじゃないですか(笑)。野良っぽい人が集まっても、こんなに居心地が良くなるんだというのをとても楽しんでいます。もっと増えてほしいですね」
最近は三茶WORKで知り合った方とのお仕事が増え、各メンバーの仕事に趣味に、これまで積み上げてきたスキルを存分に発揮している西田さん。
「めっちゃ(依頼が)来ています。eatreat.のコンセプトムービーもそうだし、ソフトウェア会社のロゴマークとか、法律事務所のPR動画とか。サイト制作ももちろん継続していて、本当に何屋かわからなくなりつつあります(笑)」
一方で、趣味の団地研究と写真にもエネルギーを注いでいるよう。
「幼少期にマンションに住んでいた頃の集合住宅への思い入れもありますが、コンクリートの躯体(くたい)が好きなんです。小さい塊でも萌えますが、それが大きくなって中に人が住んでるとより萌える。経年劣化や鉄骨の無骨な感じとかもたまらないですね。そういう団地によく写真を撮りに行って、土地の成り立ちや地名の由来も一緒に調べては萌えるというのを永遠にやっています」
ちなみに三茶にまつわる地名でいうと、源頼朝が馬を下りた場所が「下馬」で、馬に乗った場所が「上馬」で、馬をつないだ場所が「駒繋神社」なんだとか。最後にこれからの目標を聞いてみると、「整えること」と答えてくれました。
「自分の芸歴((?))を増やしては散らかしたまま後回しにしていたので、コロナ渦もいい機会だと思って自分が作ったものをまとめています。やっぱり、今までの実績はどれも宝物ですし、自分をいちばん説明できるものですしね。それから、いい歳にもなってきたし、身体を整える意味でも朝のワークショップをしている神林さんにパーソナルトレーニングを付けてもらっています」
三茶の街に関連するお仕事もやってみたい、とまだまだ未開拓領域に突き進む意欲十分の西田さんでした。
インタビュー:2020年9月時点
Photography:Tomohiro Mazawa
Interview/Text:Yukari Yamada